Vol.2 続 我が人生は「不要・不急」か?

先回コラムへの意外な反応

 

先の「不要不急」の随想には、予想外の反応を頂いて驚いている。実は、“そんなおかしなことを考える暇があれば、もっと建設的なことを考えては…”という意見を予想していたのに、予想外だったのは、“自分も似たようなことを考えている”という意見が多かったことである。普通なら読者から同意を得たら喜ぶのだが、この度は、「生きる意味というのは、誰にとってもそれほど明らかではない」らしいということが分かって当惑しているというのが正直なところである。結構、多くの人が生きる意味を明確には分からずに、手探りしながら生きているのだということを認識したことである。

開けてはいけない「パンドラの箱」を開けてしまった、というより“虚無の深淵を覗き込んだ”(少々、大袈裟?)という喩が、ここでは適しているかも…。だから、急いで蓋をして見なかったことにするかとも思ったが、覗いてしまった以上は、さらに中を探る責任があるだろうと思い直して、なお少々考察を続けてみようと思った次第である。

ということで、今回はその続きを、少し切り口を変えた理系人間らしい議論の整理をしみようと思う。ただそれは、“科学的”に理屈で追及するということではなく、「自然、社会、人間」の広い側面から、その相互関係も踏まえて整理してみようということである。これまた壮大な話…に聞こえるが、結果がどんなことになるかは書き進まないと分からないので、結果を御覧じろというところか。 

 

生き物が発生した頃には

 

 考える切り口は色々あるだろうが、その一つとして、多様な生き物の中で、「自分が生きる意味」を問うものがいるかどうかである。仲間を助けるために自分が不利を蒙ることも辞さない賢いチンパンジーの愛ちゃんでも、人生ならぬ猿生の意味を見失って、飛び降り自殺しようとしたとは聞いたことがない。(湯本先生に確かめると、「あほ~」という返事が返ってくるだろうか。)

地球に最初の生命が誕生して以来、長い進化の過程でひたすら生きて命を繋ぐことに忙しく、“命の意味”などを悠長に問うている暇はなかっただろう。宇宙を創った「全能の神」はどういう意図で、「食う食われる」だけの適者生存の世界を創ったのだろう。いずれ長い進化の末に、命の意味を考えるような生き物が出てくることを期待したのだろうか? その期待は、ブッダの出現で叶えられたのか。そして、そのブッダの考えを完全には理解できなくても、その意義だけは感じられる人間が多数出てきたところを見ると、「さすが神さんはエライ」というべきか。

なお、他の一神教は、それぞれに宗派が大事とする「社会規範」を、「戒律」という形で提示し、これを無批判で守ることを求める。それは佛教のように、生きる意味を自ら問うて、その道に精進するというものとは基本的に異なる。(ように素人には思われるが、専門家のご意見を期待したい。)

 

ヒトが命の意味を考え始めたのは

 

では、人が「自分たちの生きる意味」を考え始めたのはどの頃からなのだろう。日本では、江戸時代に自死がテーマの芝居が沢山あるが、これは望みが叶わぬ「心中」とか、義に殉じる「切腹」であって、生きる意味が見出せなくて…という抽象的な理由ではないようだ。しかし、人生の無常(はかなし、あはれ)が中心テーマになるのは、中世文学の特性のように見える。だがその主題の多くが、「恋」とか「出世」の悩みに由来しているようなので、動物としての生き残り努力の果てであって、自分の生きる意味に迷って、とは言えなさそうである。それに比べて、あの古池のカエルを想起するだけでも、芭蕉の俳句は文字通り「深い淵」を覗こうという意図が感じられ、「わび、さび」という感覚はそれを象徴しているのではと思うのは考え過ぎだろうか。

真に生きる意味に悩んで、自ら命を絶った有名な例は、先回も紹介したが、明治36年に17歳で華厳の滝に飛び込んだ藤村操である。彼が飛び込む直前に滝の上の立木に記した、「巌頭之感」というのが、

 

『悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。
ホレーショの哲学竟(つい)に何等のオーソリティーを価するものぞ。
万有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解。」 我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る。

既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲観は大なる楽観に一致するを。』 

 

 

 この一文こそ、私のいう「生きる意味」を深く考察して至った心境だと思った。それで、当時の若者に与えた影響は大く、その後何人もが後を追って命を絶った。しかし、この事件に関しては、本当は直前の失恋が自殺の原因だったという説もあり、「なんだそっちかよ!」とがっかりしたが、そうでもないという説もあり真相は筆者には不明である。夏目漱石の弟子だったようで、後に漱石の小説にモデルとなったらしいので、改めて読んでみるかとも思う。
 モンテーニュつながりで連想したベルレーヌの知られた詩の一節、“巷に雨の降る如く わが心にも涙降る。恋も恨みも有らずして (中略)悩みの中の悩みなれ” というのは、作者自身が「恋でも恨みでもない」と言っているのだから、何か人生の深い悩みなのだろう。

生きることに悩み、生きる意味を問う人たちは、哲学のご本家ドイツの「デカルト、カント、ショウペンハウエル」など綺羅星のごとくいるが、そこはハードルが高いので、あえて避ける。その他にも洋の東西を問わず、世界中にいるようだ。先回にも引用したウマル・ハイヤームやその他の多くの詩人などは、等しく酒こそが救いだと謳った。これを読んで、「やはり飲めなければ」と昔修行を思い立ったが挫折した。しかし挫折など知らずに長年にわたって悩みを解消しようと努力ている人たちが世に多いのは確かだが、それだけ生きることに悩む人が多い証拠かもしれない。

 

そもそも人の行動原理

 

 「人はどう生きるべきか」を知るには、人の「行動原理(行動する動機)は何か」を知ることに行き着くだろう。それを整理すると、人は第一に「宇宙・自然の摂理」に支配されて生きてきた。それが 物理世界では“天体運行と地球の物理法則”であるが、当初人間は、寒冷化などに晒されて苦労しながら生きてきた。もう一つは“生物の進化の法則”で、その基本は、与えられた環境の中で、最も生き残るに適した特性を持つ遺伝子が生き延びたということである。だから、弱肉強食の時代では動物脳に従って、ライバルを食って必死で生き延びていて、「生きる意味とは」などを悠長に考えている生き物が、生き延びるに適していたとは考えにくい。

人生の意味を考えるといった知的活動が意味を持つのは、人が集団で社会生活をするようになって相当経った頃だろう。人と人との関係性の中で、守られ、癒され、傷つけ合ったりということが淘汰の中で進行し、生存に適した「社会規範」(人間行動を律する「第二の行動原理」)が出来てきた。例えば、親子の絆とか仲間との協働などが生き残るための大事な特性となり、それがさらに広く社会の規範となった。この段階にきて、人と人との関係の中でようやく生きる意味などを考え始めたのだろう。

第三の行動原理は、本能的に欲する「欲望原理」である。飲む、打つ、買うなどはその代表的なものである。その欲望に素直に従った行動こそが、生き甲斐だと思って暮らしている多くの人たちが人生の意味など考えるのだろうかと疑問を呈したところ、当事者から「深く悩む故に、深く溺れるのだ」という反論があった。その真偽は改めて考えてみたい。なお、この欲望が無制限に許されないのは、第二の「社会の規範」のためである。この規範は、「地域文化の掟」と「世界文明のルール」の2種で構成されているようであるが、それはもちろん時代毎、地域毎に変わる。

これら二つの規範の外側には、第一の「宇宙の摂理」が被さってくる。発生当初は自然の摂理の中でおとなしく生きてきた人間が、技術を手に入れその欲望を肥大化させて、この自然界の摂理を壊すような活動をし始めて、地球環境や生態系の破壊現象を引き起こした。地球の許容量からみて、人間の活動はもうその限界を遥かに越えていて、人類持続は危機的であるが。我々の存続自体が危ういという中で、生きる意義とはなどと悩んでももう仕方がないということでもある。

以上の話を要約すると、人は「逃れられない宇宙の摂理」、「人間として従うべき社会の規範」 の下で、「したい個人の欲求」をどのようにコントロールして、人類として生き延びるかということが、いま問われる時代がきた。

 

結局、生きる意味はどうなのか

 

 不要・不急から始まって、生きる意味とは…という難しいテーマに身の程も弁えず挑戦してきたが、その結果、これまで人々はこの難題にどのように対応してきたのかを整理してみた。

 

段階1:「アルコール、薬物、ギャンブル」などに依存し、思考停止する。

段階2:「武器や金で弱肉強食」に邁進し、思考放棄する、

段階3:「命の維持と命の持続に専念して」、思考延期する。

段階4:「芸術、スポーツ、趣味」などに没入し、感性で感得する

   段階5:「教義、主義」に帰依・共鳴し、思考依拠する。

   段階6:「哲学すること」により、答を得る努力をする

段階7:「心、身の修行」に没入し、自ら悟りに至る

(番外 :「自殺」により、無を実行する。)

 

 「段階」と表現したが、これは行動を動機づける脳の進化におよそ対応する。つまり、ヒトへの進化の過程で、「大脳、間脳、中脳、小脳、延髄、脊髄」という複雑な構造ができて、高度な精神活動が可能となった。さらに進んで、「大脳皮質」ができ、その中で「大脳新皮質」は特に早い速度で拡大・発達した。これが認知や思考、判断といった知的活動を司る部位となり、さらに抽象的な思考が可能となった』 という進化の歴史におよそ対応している。

 

 

門外漢の粗雑な議論なので、ぜひ色々と問題提起を頂けると幸いであります。 

撮影:N.H

編集部より・・・・

内藤先生のブログをご覧になって、感想がSODAに次々と送られてきています。少し紹介させていただきます。

・先生の「遺伝子の伝達」のためにも、文章を残すことを今後の生きる目的の一つとしてくれたらうれしいです。

・サマセット・モームの言葉「思い煩うことはない。人生は無意味なのだ」を思い出しました。

・自分の人生と重ね合わせて、読みました。続きが楽しみです。

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そして、滋賀県にお住いの石塚様からは、とっても素敵なお手紙をいただきましたので、ここでご紹介いたします。

みなさまも、どうぞご感想をSODA(hello@awajisoda.jp)までお寄せくださいね。お待ちしています。


内藤先生へ

 

コロナ過のこの時期タムリーなテーマの考察文をいただきありがとうございました。

私もこの時期先生の思考順序に従いこころの整理してみました。

 

「退職の意味」

私は多少心準備をしながら退職しました。しかし心模様は先生のご指摘通りです。

戸惑いの日を送る中、自分なりの活動目標を持ちました。もちろん無給に近いという状況の中で…。

 

「退職後の生き方」

そしてご指摘の自由意思で活動してきました。しかし自分としては納得いく社会活動だったと思います。その社会生活を楽しんでいるうちに社会生活から切り離されるれる事態に遭遇しました。

 

「大病との出会いと社会生活」

―私の特異性なる項目を追加させていただきました。―

それは思わぬ「大病という」ブレーキがかかり、社会生活は分断され「巣ごもり」状態に入ることを余儀なくされました。そして4年間この生活に慣れてきました.

 

「コロナ過での不要・不急」、「そもそも何が不要・不急か」

この状況下でも私の「巣ごもりの」生活は何ら変わりもなく楽しくとは言えないかもしれませんが人並みの生活をしていると考えています。病後すぐの間はしなければならない活動もありましたが一年もたつと不要・不急の外出のことばかりでした。ご指摘のスーパーへ買い物に行くことが生きる基本の行動となりそれでいいのだという心の落ち着きさえも出てきました。

 

「生きるに価値あること」

ご指摘の通りで「人の生きる目的は」と私なりに考えているうちに給料を得るという社会生活に入りその思考を忘れ去り40年たち定年でした。

 

「もう一つの生きる意義」

自分の生きる楽しみという中に没頭し過ごしてきましたが退職という時期から何かむなしさが心にありました。そして先生の「遺伝子を伝える」というキーワードに気づきました。それは簡単な事象からです。小学4年の孫が「野球部に入り、野球をやる」と言い出した時でした。この時私は無性に孫が本気で野球やるのか,良く考えろと真剣に考えました。良きにつけ悪しきにつけ私の人生に大きく影響した野球をやるとのことです。なぜか無性に責任を感じ孫が自分の中にいかに野球を位置づけるかよく考えて進めと思い、娘に「少し言ってもいいか」と相談しましたが、娘より「お爺ちゃん口出ししたらあかんよ」と言われ我に返りました。冷静に考えれば当たり前のことですが私の遺伝子が孫にその方向に目覚めさせたかという自覚に驚いたのでしょう。そしてそれ以後かわいいだけの孫に対する気持ちから「命の持続」を強く意識し始めました。

 

『「生きる意義」議論の深化』

そしてこれからの人生の「生きる意義」を考えるとき「自らの命の維持」と「次世代の命の持続」という観点から熟考しまた。

大病をして「死」というものを身近に感じ生きるようになり、何もかも放棄せざる負えない考えから立ち直り、何のために「自らの命を維持するのか」ということについて自分なりに結論を出し、心の安定、虚心平気を積み重ねることができるようになりました。それは孵化した「さけ」はその時点から身を滅ぼしていきますが、次世代に生きる子供を授かり孫へと継承された命の小集団をも守りぬくのが私の「命の義務」であったと再認識しています。元気に明るく勇気をもってその小集団の「こころの先頭」として進んでいくことを再自覚しています。

「不要・不急」の毎日の生活の中で子供や孫たちの消息を聞いていますと私、及び女房の「遺伝子に起因すると思われる問題」に取り組んでいることがあるようです。私たち夫婦がそれぞれ克服した問題には手を差し伸べたく、また私たちが解決できなかった問題には寄り添って行ってやりたく考えています。もちろんそのような問題がないことを望む毎日ですが「「不要・不急」の多くなったこの時期、そしてこれからはじっくりとこの集団の「こころのリーダー」として思考の多くの時間をささげる覚悟です。そして構成メンバーの消息をじっくりと見守り、行動を起こす必要がないことを祈りながらスタンバイしていく時だと考えています。「請われれば一指し舞おう」という気持ちで前向きな精神を持ち、その小集団の「余力」の一人として待機し、もう少しその輪を広げ社会的集団の一役をも担っていくことが「自らの命の維持」と「次世代の命の持続」と考え、日々ポジテイムに生きていきます。しかし彼らが私の考えを望んでいるかどうかは考えないことにしています。そして幸運にも神から与えられた「人生のアデッショナルタイム」を楽しく過ごしていきます。

 

何かこれからの生き方の決意表明のようになりましたが、先生の思考の整理が私に勇気を与えていただきました。大変ありがとうございました。

                                                                                                                                                                                              石塚勝己 

撮影:N.H