我が国がなぜ地球環境問題に世界から取り残されるのか

G7サミットを機に顕在化した出来事

先日まで開催されていたG7広島サミット(主要7カ国首脳会議)では、地球環境・エネルギー問題についての会合も開かれていた。それに関して、事前の検討過程で日本から提案していた“日本の誇る脱?炭素ボイラー技術”が、ヨーロッパ諸国から批判を浴びて、結局大幅な条件付きでどうにか盛り込んでもらえることになったというニュースがあった。これは、日本の温暖化対策の背後にある技術、経済、社会のすべてに関わる(悲劇的とも言うべき)深刻な問題点が見事に露呈された出来事である。

そもそも話題の技術は、「ボイラーの燃料にアンモニアを混焼することで、二酸化炭素の発生が抑えられる」という燃焼技術である。

なぜエセ技術しか出ないのか

案の定、批判を浴びる結果となったようだが、その内容は

① そもそもアンモニアを作る時にエネルギーが必要
② その混焼では、大気汚染対策が必要

という技術として当然出てくるものである。なぜ技術先進国を標榜する我が国が、このような技術を持ち出したのか。この背後には、我が国の政策決定の悲劇的な問題がある。それは一言でいえば、産業界と役所(特に経産省)が一体となった利益共同体の方針が地球環境対策も支配しているからである。

国内なら、内部の利害対立でコップの中でやり合っていても、外部からの眼に晒されることはないが、地球環境問題ともなると世界との接点が出てくる。この時、外部の批判に晒されるが、その時だけ適当にやり過ごせば生き延びることができる。国内の専門家は何も言わないのか? 多くが研究費をもらって経済界・経産省連合のお先棒を担いでいる。大して深い信念もない者を選んで研究費を提供してお墨付き発言をさせる。そんな連中から役立つ成果が出た例は皆無に近い。こうしてガラパゴス化が進行してきた。

温暖化対策に通用しない理由

こと温暖化に対しては、単に産業界が儲かるエセ技術ではどうにもならないことは明らかで、ここまでそれ一辺倒で進めてきた経産省・産業界連合の成果として、何か画期的な「対策技術」なるものが生まれただろうか? 「水素社会で解決」などと騒いできたが、水素はどこかからか湧いて来るわけではない。流石にいまは電気分解で作るなどというバカは居ないが、それに代わってソーラー発電など自然エネルギーで水素を作るという。いかにも良さそうに聞こえる。しかし、一旦電気にしたものを別のエネルギーに転換するのが非効率なのは技術の常識である。それでも一理あるとしたら、時期変動の大きい自然エネルギーの貯留手段としての役割である。もしそう見極めたのなら、貯留技術として水素が最適かどうかを十分比較考慮したのか? 多分、どこかの産業にとってそれが好都合だったからでは? と勘繰りたくなるが…。

真の適正技術は

脱炭素に関して先進であるヨーロッパ諸国は、単に技術だけではなく「社会経済システム」も同時に変えることが不可避であることが見えているので、まともな方向性が提案される。もちろん地球環境問題は規模の大きい現象なので、それが直ぐに結果に繋がるわけではない。そこに付け込んで、我が国は適当に批判しているが、少なくともガラパゴス化して、迷路から出る可能性がない国には言われたくないだろう。国連でCOP(気候変動枠組条約締約国会議)が開かれる時期にいつも「化石賞」を貰っている理由を、日本人は本当に理解しないで、政府関係者や識者と言われる者たちが逆切れしている。

その実現の困難さ

そもそも温暖化は過度の工業化によって引き起こされたものであるから、その主犯たる工業界が手控えることなく、さらにその力を使って解決できるという幻想を拭えないのは、あくまでも欲望に突き動かされた強欲資本主義の故であると言わざるを得ない。

実は我が国にも、独自の優れた「真の脱温暖化技術」がある。しかしそれが採用されるには、社会・経済からその背景を成す価値観・倫理観までを包含する「真のエコ社会」への転換が必要なので、政治体制の大変革しかない。しかし、それは儲からない茨の道なので、「人類のために己の欲を捨てる」志のある人でないと出来ない。お迎え間近の後期高齢者ががなり立てても効果はないだろうが…。せめて最後っ屁ということで。