「終末の記」 ~老人は生産性がない?~

「生産性」という言葉が頻りに使われるようになった。その筆頭が国会議員の杉田水脈氏である。生産性といえば、最も生産性がないのは高齢者であろう。そこで、今回は老人と生産性について考えてみる。もちろん幼児も病人も生産性はないが、先々で生産をしてくれる可能性があるので、そのために教育、治療をしようということになる。何せ、国会議員が先頭を切って「生産性社会」を唱えているのだから、高齢者は「姨捨山に行くべし」という正面切った法律はできないとしても、取り上げるモノがあれば出来るだけ搾り取ろうといった制度でもできるだろう。

老人は社会のお荷物か

老人ホームの入居者を「社会の役に立たずに負担ばかりかけている」と殺して回った事件があった。施設の元職員だったと記憶している。驚いたのは、その行為に賛成する影の意見がたくさんあったことである。かく言う自分自身でさえ、交通事故の記事などをみたとき、被害者が若者なら大変だと思い、高齢ならまあ仕方ないかといった反応をしている。

生産性でいわれると

社会の役に立つかどうかを「生産性」で測られると、我々高齢者は一番に切り捨てられるだろう。杉田議員の発言の対象は、当初LGBTであった。それは子孫の生産性ということだろう。もちろん老人はそれも難しい。しかしそういうなら、アナタ自身はどうなのかと聞きたくなる。他人の価値に何かを言うときには、それが自分に還ってくることを考えなければならない。実際にどれだけ生産をされたのか、個人情報は承知してはいないが、見たところそれほどではなさそうである。

生産性が絶対的な価値か

そもそも、人の価値を評価する場合には「価値の基準」が必要である。それを決めるには、我々はどんな社会を目指そうとしているかを明らかにしなければならない。例えば江戸時代は「君に忠、親に孝」であったから、どれだけ主君に忠義かが人の価値であった。戦前は「富国強兵」なので、戦争にどれだけ役立つかが国民としての価値であった。“産めよ増やせ”が唱えられたのは、戦場に送る兵隊の数が必要だったからである。そして現代は「自由、平等、博愛」が世界の目標(規範)となっている。まだ建前上だとしても、正面切ってこれに反するのは具合が悪いので、政治家では嘘でもそれに辻褄を合わせる。

これらのことから考えると、杉田さんの目指す社会規範(目標)は何なのか? 安倍チルドレンとして議員になった(と記憶している)ので、多分「富国強兵」に近い社会を目指しているのだろう。自民党が彼女を守るのは、自民党の支持層にその立場をとる集団があるということだろう。その本体は、想像するに、天皇を上に戴く「家父長制」の国体を守ろうとする保守主義の立場ではないか。

社会規範を取り巻く自然界の法則

今の日本社会では杉田さんの主張を支持する人たちがいるので、「社会規範」の範囲でそれは間違っているということはできない。では、どこに根拠を求めるか。それは「社会の規範」の上位にある「自然界の法則」にしかない。あなたの言っていることは「自然の摂理」に反しているよと主張するしかない。ただし、これはかなり面倒な作業でエネルギーを要するので、次回以降に譲る。